大天使聖ミカエルの羽それとも天狗の翼?
石像ウマンテラさま脚光
世界遺産崎津集落に隣接する今富で発見
熊本県天草市河浦町の山中で37年前に発見された翼を持った石像「ウマンテラさま」が、大天使聖ミカエル像(1)にそっくりだ、いやこれは天狗の翼だ!と話題になっている。ルネサンスを代表するラファエロ(1483〜1520)が描いた聖ミカエル像は、背に羽を広げ、右手に剣、左手には盾を携えて悪魔を踏む姿が描かれているが、一方で修験道の影響を受けた金毘羅神などは烏天狗の翼を付けた像が天草に多く祀られていて否定的な見方もあり、研究者の見解は割れている。果たしてどっちなのか?
石像は世界文化遺産の崎津集落に隣接する今富集落の西側の尾根(標高約50メートル)を登ったところに金毘羅大明神などの祠とともに祀ってあった。高さ約85センチの石の祠の中に像が浮き彫りされている。両肩に翼とみられるものがあり、右手に剣のようなものを持ち、悪魔を踏みつけているように見える。銘文はないため、製作年代や作者は不明。どんないきさつで建てられたのか伝承は残っていない。(2)1981年12月の発見当時、地方紙に大きく掲載され、故田北耕也元南山大学教授(3)は「実物を見ていないので断言はさけるが、ローマにある聖ミカエル像そっくりだ」とコメントし、発見のニュースは大きな反響を呼んだ。
その後、この石像は全国かくれキリシタン研究会の浜崎献作元会長の父が地元の人から譲り受け、経営していた民間キリシタン資料館「サンタマリア館」で展示をしていたが、2017年の閉館時に地元に返却したいと市に相談。市は地元に管理する人がいないため、今年の7月から「崎津資料館みなと屋」で貴重なキリシタン資料として展示を始めた。
浜崎さんは1882(明治15)年ころ、フランス人宣教師のフェリエ神父(1856〜1919)が天草に赴任した時に書いた「天草についてのノート」を読み、その中に今富村は2人の水方(潜伏キリシタンの信仰指導者)がいてそのうち1人は山伏であること、また隣村の大江村にも同様に6人のうち2人が山伏だったと書かれていることに着目した。修験道とのつながりのある「翼を持つ金毘羅神、馬頭観音などを一緒に崇拝していたにすぎない」とこのほど出版した自著『天草キリシタン研究集成』に発表。この石像はキリスト教由来の「天使の羽」ではないと否定した。(4)
発見当時、調査団に参加していたお茶の水女子大の波平恵美子名誉教授(文化人類学)(5)によると、写真をかくれキリシタン遺物の専門家に見てもらったところ断定はできないが、一般的に山の頂上にある翼のある像は秋葉神だろうということだった。秋葉神は火災・火除け(ひよけ)の神様。山から両側を見た時、分水田で集落を守るような場所に祀られていた。「当時は水方が山伏だったとの情報はなく、もし山伏だったのであれば、聖ミカエル像を秋葉様の形で祀ったとも考えられる。二重の役割をしながらキリシタン信仰を守ったと考えれば合理的だ」と話す。
また、修験道研究の専門家で慶応大の宮家準名誉教授(宗教学)(6)はかくれキリシタンも民俗宗教と考える立場だ。「占い、祈祷することは山伏を始め、民間宗教者の活動の特徴。ただ水方が隠れ蓑として山伏を名乗っていたことはあり得る。金毘羅権現は天狗ともされるが、この羽は天使のもので聖ミカエル像とするのが正しいと思う。また天草の常民が金毘羅権現を祀るのは(キリシタンの)信仰活動のためと思う」としている。(7)
石像の現地保存や整備と共に、今後の研究に期待が寄せられている。
(金子寛昭)
2020/12/19
初稿
◎註
(註1)ミカエルの図像は、甲冑をまとって天の軍団の先頭をいく、といったイメージが一般的とされる。彼の図像は、背には翼が広がっているものが多い。場合によっては孔雀の尾羽のような文様の翼を有した姿で描かれることがある。また、彼の右手に剣、左手には魂の公正さを測る秤を携えている姿で描かれることもある。
ラファエロ・サンティ『聖ミカエルとドラゴン』(1505年頃)『ヨハネの黙示録』における、ミカエルが配下の天使たちとドラゴン(悪魔)と戦った場面を描く。
(註2)石像「ウマンテラさま」の横に「金毘羅大明神」を1937(昭和13)年に建てた所有者の故高岡栗造氏は先祖はキリシタンだという。
(註3)田北耕也(たきた・こうや)
1896 年奈良県で生まれる。大阪高等工業学校採鉱冶金科(現大阪大学工学部)卒業後、熊本市で教員に。30 歳の時に九州帝国大学法文学部に入学。卒業後、長崎の伊王島のカトリック集落の調査が契機となり、長崎外海、五島、平戸、生月島などのかくれキリシタンの集落調査を行い、「天地始之事」をはじめ多くの発見をし、潜伏・かくれキリシタンの実態を明らかにした。その成果の集大成として1954 年に『昭和時代の潜伏キリシタン』(日本学術振興会)を刊行。戦後は名古屋の南山大学教授をつとめる。1994 年没。
(註4)浜崎献作著「天草キリシタン研究集成」第3輯、インプレスR&D、2020年9月、63頁。
(註5)お茶の水女子大学の波平恵美子名誉教授(文化人類学)福岡県北九州市出身。
(註6)慶応義塾大学の宮家準名誉教授(宗教学)
日本宗教学会常務理事、日本山岳修験学会名誉会長、神道宗教学会監事、日本道教学会理事。2012年宗教法人修験道管長、法首およびその総本山五流尊瀧院第37代住職。
「日本の民俗宗教」講談社、1994年、「修験道—その歴史と修行」教育社歴史新書、1978年/講談社学術文庫、2001年」、「修験道の地域的展開」春秋社、2012年など著書多数。
(註7)1805年、潜伏キリシタンが5千人以上も発覚し、検挙された「天草崩れ」で、その時の調書に信者が病気の時に唱えるオラショ(祈祷文)がある。
大江村 平左衛門 壽庵 申口(大江村吟味日記)(1805年)〜「病の時の悪祓い」
「あめまるや。がらさべんのふ。どうまん。べえこ。ゑれんとつうや。ゑれむりゑれ
むり。ゑれすべ。ゑんつう。ふりつう。べんつう。つうゑノじんぞう。さんたア丸
や。まあてるまあてる。うらひらのふ。のふべす。のふべこ。とりゑの。のミきり。
ゑのつ九。山土野の土あんめんじんす。たねは八ツ。むねは九ツ。とは壱ツ。我カ
行先はあららんが崎。此となへすは悪病の節となへ候得は悪はらいニて御座候」(浜崎献作著「天草キリシタン研究集成」第3輯、インプレスR&D、2020年9月、59〜60頁。原典は上田家文書だと思われるが、出典先の記述はない。)
浜崎氏は「たねは八ツ、、」の部分が修験道の護符にみられる呪文の一種だと指摘。
一方、宮家準名誉教授は「此となへすは悪病の節となへ候得は悪はらいニて御座候」は民俗宗教の常套文言だとし、さらにかくれキリシタンも民俗宗教と考える立場から「占いによって災因を不浄、生霊、死霊であることを明らかにして祈祷することは山伏を始め、民間宗教者の活動の特徴だ。ただ水方が隠れ蓑として山伏を名乗っていたことはあり得ると思う」とする。
◎協力:
慶應義塾大学 宮家準名誉教授(宗教学)
お茶の水女子大学 波平恵美子名誉教授(文化人類学)
◎関連記事:
○西日本新聞 「天使の羽か、天狗の翼か 両肩に謎の造形40年前発見の石像 ウマンテラさま脚光」(2021年2月12日朝刊及び13日付夕刊1面トップに掲載)
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