(写真はイメージです。) |
白イチジク(スミルナ系)(*) | ドライフィグ (スミルナ系=トルコ産) |
いろんなイチジク |
スミルナ系イチジクに集まったイチジクコバチの雌 | 受粉を助けるイチジクコバチ(スミルナ系イチジク) | 白系のイチジクブリゲソテス (メスキータ書簡)(註8) |
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日本に初めて持ち込まれた西洋イチジク/長崎の宣教師の庭に/実らず、普及、定着しなかった?! コレイア氏も「メスキータが天正遣欧少年使節とともにリスボンを出発するときに持ってきた可能性が高いと言える。実際、これは海老沢教授の説と一致している」という。
メスキータ神父以前にイチジクの苗が日本に持ち込まれた記録はあるのだろうか? メスキータ神父の書簡には「この日本は今、その苗でいっぱいだ」(註7)と誇らしげに書いているが、実がたわわになっているとは書いていない。マニラへ苗を送る際には「まだ何らかの形で実を結ぶ可能性があると思われるからだ」(註8)と書き、日本では実を結んでいなかったことを、うかがわせる文面だ。結局、日本では苗は挿し木で増えたものの、結実しなかったのではないか。
イチジクの受精はイチジクコバチによって行われることが近年になり分かった。原産地以外の土地で栽培する場合、実をならせるためには昆虫も同時に導入しなければならない。スミルナやスペイン、ポルトガルなどではイチジクコバチが侵入した果実を枝に近づけるカプリフィケーションという方法で受精をさせている。(註14)
コレイア氏もまた「いわゆる『ブリゲソテ』型、おそらく『サン・ペドロ』型、後に(小林氏が指摘のように)『蓬莱柿』型に取って代わったものと思われる、非常に論理的なものだ」とコメントした。 ◎註: (2)リスボン大のペドロ・ラージュ・レイス・コレイア氏(Pedro Lage Reis Correia.1973〜)〜アジア研究学科(歴史学) (3)コレイア,ペドロ氏研究論文「ディオゴ・デ・メスキータ神父と日本における西洋植物の栽培」〜Correia, Pedro. "Father Diogo de Mesquita (1551-1614) and the cultivation of Western plants in Japan Bulletin of Portuguese - Japanese Studies, nu´m. 7, december, 2003, pp. 73-91Universidade Nova de Lisboa Lisboa, Portugal. "「ブリゲソテス」(brigesotes=スペイン語)。「この西洋の植物は果樹で、苗木の形で日本に届き、後に長崎のイエズス会士官邸(レジデンシア)の庭に植えられることになる。」"These Western plants were fruit trees that would arrive in Japan in the form of saplings and would later be planted in the garden of the Jesuit residence in Nagasaki".p81。 (4)果樹が専門で恵泉女学園大(東京)の小林幹夫名誉教授。NHKなどにも出演。 (5)イエズス会のポルトガル人宣教師で長崎コレジオの院長、ディオゴ・デ・メスキータ神父(Diogo de Mesquita、1553-1614)。ポルトガル生まれで、1577年に初来日。82年にマカオで司祭になる。天正遣欧少年使節に随行し、90年7月に帰国。95年に天草コレジオの院長になり、98年から1611年まで長崎コレジオの院長、その後、長崎サンチャゴ病院の上長になる。14年に長崎で死去する。Hubert Cieslik S,J.『キリシタン研究』第24輯キリシタン文化研究会、1984年、61頁。 (6)マニラのコレジオ院長、ファン・デ・リベラ神父(Juan de Ribera 、1565-1622)。 (7)1599年10月28日付けのスペイン語で書かれた書簡(ローマのイエズス会文書館所蔵)。「というのも、リスボンからこの日本まで、私はいくつかの経験を持っているからだ。私は良いブリゲソテスのイチジクの苗を持ってきた。
私はリスボンからこの日本に良質のイチジクの苗を持ち込んだが、この日本は今、その苗でいっぱいだ、確かに多くの苗は枯れてしまったが、それは不幸中の幸いだった。」"de lo qual todo yo tengo alguna experiencia porque desde Lisbona hasta este Japon he traido una planta de buenos higos brigesotes, de que agora este Japon esta lleno, es verdad, que muchas plantas se me secaron mas fue por infortunios,"ARSI, Japonica-Sinica, 13 II, fls. 348v.Letter from Father Diogo de Mesquita to Father Juan de Ribera, Rector of the Manila College, Nagasaki, 28 October 1599. (8)ブリゲソテスのイチジクは白系(casta blanca)〜「そのお礼にイチジク・ブリゲソテスの苗を送りたい。まだ何らかの形で実を結ぶ可能性があると思われるからだ。白い品種である。」" quiero yo tambien en parte recompensarlo en la misma moneda embiandole una planta de los higos brigesotes,que atra´s digo, porque parece que aun podran en algun modo fructificar, pues los ay de casta blanca. "ARSI, Japonica-Sinica, 13 II, fls. 349.Letter from Father Diogo de Mesquita to Father Juan de Ribera, Rector of the Manila College, Nagasaki, 28 October 1599.=写真はコレイア氏提供。 (9)天正遣欧少年使節らの帰国とともに1590年7月21日、長崎に帰港。 (10)海老沢有道『地方切支丹の発掘』柏書房、1976年。49〜50頁。 また日本二十六聖人記念館の故結城良悟館長が天草コレジヨ館の川崎富人氏への書簡(2000年11月6日)には「イチジクの木が日本に入ったのは1590年のことで河内浦には1591年に植えられた」と書いているが、メスキータ神父の書簡にその記述はなく、他の史料の出典先も示されず全く根拠がない、といわざるをえない。 (11)ジョアン・ロドリゲス『日本教会史』上、大航海時代叢書Ⅸ、岩波書店、1967年。270〜271頁。 (12)長崎のコレジオで1603〜04年にかけて印刷された『日葡辞書』にはイチジクを(figos de Portugal=ポルトガルのイチジク)と区別していた。土井忠生、森田武、長南実編訳「邦訳日葡辞書」岩波書店、1980年。96頁。 (13)1631年にローマで出版されたドミニコ会宣教師のディエゴ・コリャードによる『羅西日辞典』にはイチジクのことを南蛮柿(Nanbangaqi)と書かれている。イチジク:Ficus(ラテン語).higos(スペイン語).Nanbangaqi(日本語)。大塚光信『コリャード羅西日辞典』臨川書店、1966年、49頁。
またキリシタン版『羅葡日辞典』、『日葡辞書』、『羅西日辞典』のイチジク表記については海老沢有道『地方切支丹の発掘』柏書房、1976年。47頁。 (14)H. & A. モルデンケ/奥本裕昭編訳 『
聖書の植物事典』八坂書房、2014年。10.イチジクとその仲間、67-71頁。
(15)Correia, Pedro. "Father Diogo de Mesquita (1551-1614) and the cultivation of Western plants in Japan Bulletin of Portuguese - Japanese Studies, nu´m. 7, december, 2003, pp. 73-91Universidade Nova de Lisboa Lisboa, Portugal. "p85 (16)Correia, Pedro. "Father Diogo de Mesquita (1551-1614) and the cultivation of Western plants in Japan Bulletin of Portuguese - Japanese Studies, nu´m. 7, december, 2003, pp. 73-91Universidade Nova de Lisboa Lisboa, Portugal. "p81 (17)蓬莱柿(ほうらいし・中国原産、17世紀中国から輸入)や桝井ドーフィン(アメリカ原産、明治時代にアメリカから輸入)小林幹夫 『恵泉果物の文化史(5):イチジク 』恵泉女学園大学園芸文化研究所報告:園芸文化 、恵泉女学園大学園芸文化研究所、2008年。121〜122頁。 (18)小林氏によるとイチジクは果樹園芸学的に4種類に分類される。 (*)写真提供=デルタインターナショナル。イチジクの産地として世界有数のトルコ産ドライフィグ(スミルナ系)を扱っている。
◯参考:受粉の仕組みについては、BRH JT生命誌研究館「イチジク属植物とイチジクコバチの共生関係の仕組みについて」が詳しい。(外部リンク)https://www.brh.co.jp/research/lab02/openlab0620/ |
「天草キリシタン10の謎」(天草テレビ出版、2020年10月発行。アマゾンで販売中!) 天草コレジオの所在地を示す史料「1601年度イエズス会年報(大英図書館蔵)や、「島原の乱」関連古文書〜天草四郎の目撃情報など幕府側の報告書47枚、53点(個人蔵)、東京大学総合図書館、東京大学史料編纂所、京都外国語大学附属図書館などが所蔵する貴重な資料を約100ページにわたって原本の写真を図録として収めました。 |
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新発見の大英図書館に現存する史料などを輯録 「天草キリシタン10の謎」の史料輯。アマゾンで好評販売中! |
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