世界に5冊のみ「日葡(にっぽ)辞書」
不明のマニラ本、オーストラリアに現存か?!
約400年前、長崎のコレジオで印刷
戦後、行方不明に
十数億円の価値か
長崎市夫婦川町の春徳寺にあったとされるイエズス会の宣教師養成のための神学校、「長崎コレジオ」で1603〜04年にかけて印刷され、世界に5冊しか現存しないとされるキリシタン版の『日葡(にっぽ)辞書』。戦後、そのうちの1冊が行方不明となっていたが、オーストラリアに現存していることが分かった。
京都市の「青羽(あおばね)古書店」のサイトに写真と記事が公開されており、2018年にブラジル国立図書館で5冊目を発見した広島大大学院人間社会科学研究科の白井純教授(中世日本語史、キリシタン語学)(註1)は写真を見て「フィリピンの修道院にあったものにまちがいないと思う。時期がくれば存在が明らかになるのではないかと期待していたが、再出現はとても大きな意義がある」という。
洋古書の稀覯(きこう)本を扱う同書店のサイトには12枚の写真が掲載されている。2018年8月、オーストラリアのシドニーで撮影されたものだ。402の右、左ページがなく、欠落していた標題紙は補修されていて、装丁は19世紀頃と思われる改装が施され、さらに保存のための特製箱が付属している。2012年に修道院から正式な契約を交わして購入されたもので、その由来は確かなもので、冒頭の出版認可文(允許状=いんきょじょう)の下部にある書き込みは、戦前に撮影された写真と全く同じものだと紹介されている。
「長崎コレジオ」(トドス・オス・サントス)はサン・フェリペ号事件を契機に始まった迫害への対策で、1597年(慶長2年)10月頃、天草コレジオを取り壊して、天正遣欧少年使節が1590年に帰国の際、ヨーロッパから持ち帰った金属活字印刷機と共に長崎に移動した。『日葡辞書』は1603〜04年にかけて印刷。ローマ字で表記された日本語にポルトガル語の注釈が付き、約3万2000語を収録した辞書だ。
現存する『日葡辞書』は英国のオックスフォード大ボドリアン図書館(ボドリアン本)、ポルトガルのエボラ公共図書館(エボラ本)、フランス国立図書館(パリ本)、フィリピンのマニラにあるサント・ドミンゴ修道院(マニラ本)(註2)、ブラジル国立図書館(リオ本)の5冊のみで、日本で所蔵する図書館や研究機関はなく、極めて貴重な本だ。
中でもサント・ドミンゴ修道院のマニラ本は戦前に写真撮影が行われたが戦後、原本の行方は分からなくなったという。専門家はそれが古書市場に出れば、数億から十数億円の値がつくだろうと話す。
同書店の羽田孝之代表は「(オーストラリアの)委託先古書店とやり取りをしていたのは3年ほど前のことで、19年には所有者とその家族が販売を取り下げるとの連絡があり、その後は恐らく所有者の元に残されたままではないか。後世に何らかの記録となり、また学術的な価値を考え、サイトで公開した。研究者や関係者の役に立てば」という。
『日葡辞書』の研究で、『キリシタン版 日葡辞書の解明』(八木書店)などの著書があり、新村出研究奨励賞を受賞した上智大基盤教育センターの中野遥特任助教(註3)によると「画像(特に允許状)を見る限りでは、マニラ本だと思われる。 再発見自体が喜ばしい事と思う。マニラ本は、上智大キリシタン文庫所蔵の写真版しか残っておらず、一部は写りが悪く、大変見にくくなっている。これまで本文の精細な調査は困難で更に、写真版なので、印刷状況や使用している紙の調査は不可能だった。今後、マニラ本の原本調査が可能となれば、より詳細な比較検討が可能となる」と大きな期待を寄せる。
また、白井教授は「『日葡辞書』には本篇に加えて規模の大きい補遺が付属しているのが本来の姿。ボドリアン本、エボラ本はあるが、パリ本とリオ本にはない。(本文、補遺を備えた)姿をとどめるマニラ本には(学術的な)価値がある。既に存在が知られるものには内容を改訂した部分があるが、この本ではどうなっているのかが分かれば、編集・出版過程を明らかにすることができるかもしれない」とした。
「キリシタン版」(註4)
16世紀末から17世紀初めにかけて、イエズス会の宣教師がキリスト教布教を目的に長崎と天草のコレジオで印刷されたものは「キリシタン版」と呼ばれている。
辞書のほか『平家物語』、『イソップ物語』などがあり、20余年間で数十点を出版したが、キリスト教禁教令と弾圧のため、禁書となった。残っているものは極めて少なく、現存するものは70点余りしかないといわれている。
明治期から昭和初期にかけて国内外の研究者によって研究と現存本発見のための努力が積み重ねられた結果、国内においても上智大学キリシタン文庫、天理図書館、東洋文庫といった研究図書館に、海外から逆輸入された数点の「キリシタン版」が所蔵されるようになった。
『日葡辞書』が、「キリシタン版」のなかでも特に重要とされてきたのは、中世の日本語や、近畿、九州の文化、風習を知るうえで極めて貴重な資料として内外の多くの研究者が注目している。
(金子寛昭)肩書等は執筆当時のものです。更新履歴2022/5/10(初稿)、2023/05/01一般公開。2024/3/7更新。
◎註:
(註1)広島大大学院人間社会科学研究科の白井純教授(日本語史、キリシタン語学)
https://www.hiroshima-u.ac.jp/bungaku/research/teacher/shirai_jun
(註2)マニラ本(フィリピンのマニラにあるサント・ドミンゴ修道院旧蔵)
2017年に古書市場に出たという。中野遙『キリシタン版 日葡辞書の解明』八木書店、2021、14頁。サイトで情報を公開したのは21年10月から。
(註3)上智大基盤教育センターの中野遙 (なかの はるか)特任助教。
「キリシタン版 日葡辞書の解明」八木書店、2021年、などの著書があり、新村出研究奨励賞を受賞。
(註4)最初のキリシタン版発行は1591年、長崎県南島原市の加津佐コレジオで印刷された。1614年、キリスト教禁教令により出版中止。印刷機はマカオへ移送された
。
16世紀末〜17世紀初頭、欧州へ舶載されたキリシタン版の現存数(除く断簡):24種、46部。
安江明夫「キリシタン版と日欧文化交流」
◎関連記事:
○「天草コレジオはどこにあった?」八木書店公式サイト(2020/4/22)
○西日本新聞 「『河浦にコレジオ』新資料 天草の研究会 再び確認 イエズス会の古書に記述」(2020年5月11日朝刊)
○西日本新聞 「河浦説提唱の鶴田さん『ありがとう』笑顔で逝く」(2020年5月11日朝刊)
○天草テレビ「鶴田倉造氏が死去 天草コレジオ河内浦説を提唱」(2020/4/22)
○天草テレビ「天草コレジオは河浦に!/跡地論争に終止符か/大英図書館に場所を示す古文書」(2020/2/19)
○西日本新聞 「天草コレジオ 謎に光 河浦示す古文書 英国に キリシタン最高学府所在地論争60年超」(2020年2月9日朝刊)記事中34行目「ラテン語で」は「ポルトガル語で」の誤りでした。お詫びして訂正します。(金子寛昭)
○西日本新聞 「天草コレジオ謎のまま?跡地の所在 かつて大論争 合併で下火 郷土史家危機感」(2019年12月14日朝刊)
○天草テレビ関連記事「天草コレジオはどこに?/60年以上も論争/決定的な証拠見つからず〜天草キリシタンの謎シリーズ(1)」