「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産・崎津集落」世界遺産登録記念
天草テレビ開局18周年記念特別番組
潜伏キリシタンの信仰具 アワビ貝に見えたものとは ?!
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つ、熊本県天草市の「崎津集落」。
アワビの貝殻を信心具として用いるなど漁村特有の信仰形態を育んだとして特徴付けられた集落だ。
資料館を訪れると、「水方」と呼ばれる信仰指導者の家に伝わったアワビの貝殻が展示してある。
何の変哲もない貝殻だ。
「内側の模様を聖母マリアにそれぞれ見立てた」とされるが、よく分からない。禁教時代、どんな意味を込め、どんな風に用いたのだろうか?
貝殻に宿る信仰の物語を求めて、潜伏キリシタンの里を歩いた。
崎津を訪れた観光客に信仰具のアワビの貝殻写真を見せると「わからない」と首を傾げた。実際、輝く内側は神々しいが、聖母の姿は浮かんでこない。
アワビ貝の所有者で、集落で漁業を営む宮下謙紀さん(75)を訪ねた。
先祖が水方で、アワビの貝殻や大黒天、鏡、古銭など数十点を代々受け継いできた。
宮下さんは「祖父がカトリックの祝日に赤飯などのごちそうと共に、こっそり取り出していた。儀式は見たことがなく、使い方や、意味については分からない」と言う。
「アワビなどの貝殻内側の模様を聖母マリアに見立てて崇拝した」という説明は、天草市教育委員会の調査報告書にある「フェリエ神父の報告書」(「天草についてのノート」)が基とされる。(註1)
フランス人宣教師のフェリエ神父は、明治時代1881年、日本に派遣され、天草で7年間を過ごした。1882年ころ、禁教令が廃止された後、大江、崎津などのかくれキリシタンの様子や民俗などを書いた「天草についてのノート」がある。
これを翻訳・研究したのは郷土史家の故・平田正範さんと新聞記者の故・武内新吉さんだ。(註2)
それによると「水方は貝がらの中の方を見てあるいは筋を見出せばこれを海に捨てられたる御影御像のベアトス様がたはその形になり、変わりておりなさるところというて これに御水を授けてキリシタンに祭られるなり。」とある。
貝がらの内側の筋を見つけて海に捨てられたベアトス様がたの姿を重ね、祭っていたようだ。
特別に水を注いでもらった。
すると何やら人物のシルエットのようなものが浮かび上がった。
水方が貝の内側の模様や、水を張って浮かび上がる模様に「何か」を見出していたようだ。
フェリエノートには「マリア様」とは書かれていなかった。では、はっきりと書かれている「ベアトス様がた」とは一体、誰なのか?
その手がかりは長崎にあった。
長崎市橋口町のサンタ・クララ教会跡の近くにベアトス様の墓がある。元純心女子短大副学長でキリシタン史研究家の片岡弥吉氏の「日本キリシタン殉教史」には、信憑性のある伝承として紹介されている。(註3)
3代将軍徳川家光の時代に信仰を守り通し、処刑されたジワンノとジワンナ、ミギル親子3人を葬ったとされる「ベアトス様の墓」がある。そして毎年、11月3日に殉教祭が行われている。ベアトスとはベアートの複数形で、ポルトガル語で敬虔な生涯や尊い死により永遠の幸福を受ける人々をいい、福音を意味する。
アワビ貝に現れた文様を見て、殉教者「御影御像のベアトス様がた」がその形になり変わったということで、これに御水を授けて祭っていたということが分かった。
実はアワビ貝を信仰に用いた人々は他にもいた。
長崎県五島市の福江島南部、黒蔵地区の潜伏キリシタンの子孫宅にもアワビ貝の信仰具が残されている。長崎市の大浦天主堂キリシタン博物館の内島美奈子研究課長らの調査によると、五島の例ではアワビ貝の内側に聖人や殉教者の名前を書いた札を付けて、祈りを捧げたようだ。イエス誕生の場面を表す模型とされる「馬小屋」の道具と同じ木箱の中に、アワビ貝も残されていた。
◎長崎の例(大浦天主堂キリシタン博物館調査)
(1)堂崎教会(ドウザキキョウカイ=五島市福江島)に展示3点のうち2点付け札あり。
「三ヂワン様」(サンジュアン=Sant Joan, Saint John聖ヨハネ?また、平戸市中江の島には殉教者サン・ジュアンの伝説もある。=註4)
「オタチバンナオンヤクニン様」(不明瞭)
(2)五島市福江島の個人所蔵で4点、それぞれに付け札あり。
「サンタベリヤサマ」2点(おそらくサンタマリア)
「オンマレンシヨサマ」(誰なのか不明)
「ゴヒチニン様」(誰なのか不明)
(3)土井ノ浦教会カリスト資料館(南松浦郡新上五島町若松郷)
*HPに写真が紹介されている。
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イエス誕生の場面を表す模型とされる「馬小屋」の木箱の中にアワビ貝も。(右) |
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付け札があるアワビ貝(五島市福江島の個人所蔵4点) |
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「ゴヒチニン様」の付け札(誰なのか不明) |
内島さんは「日本文化が古来より、アワビ貝を信仰の対象としていた素地があり、キリシタンの信仰具に転用されたのではないか。研究者の中には、殉教者の遺体が海に投げ捨てられていた。それで海からとれるアワビ貝(の文様を見出して)が聖人や殉教者との関連で信仰の対象とされていたという人もいる。今後の研究が必要だ」と話している。
世界最高齢女子アナのはるのちゃんにアワビの写真を見てもらった。すると「人の顔がみえるね。不思議か。ありがたいこと!」と驚いた。
貝殻にまつわる信仰の様子が少し、見えてきたような気がした。
(2019/1/1 金子寛昭)2019/9/25更新。
◎参考文献:
(註1)天草市教育委員会「崎津・今富の集落調査報告書〜資料編」2013年3月発行、137ページ。フェリエノートには「海に捨てられたる御影御像のベアトス様がたは」とあるが、「マリア様」の記述はない。
(註2)天草の民俗と伝承の会「あまくさの民俗と伝承」第5号、1982年10月15日発行。「崎津教会神父ノート」竹芝明治(武内新吉=元読売新聞天草通信部記者)の論文で、1882年ころにフェリエ神父が書いた「天草についてのノート」を、1936年ころハルブ神父が書き写したものを翻訳。写真と共に紹介している。63〜75ページ。
(註3)片岡弥吉「日本キリシタン殉教史」時事通信社、1980年発行、552〜553ページ。片岡氏は元純心女子短期大学副学長(1908年〜1980)。
(註4)片岡弥吉「日本キリシタン殉教史」時事通信社、1980年発行、292〜295ページ。平戸市中江の島に伝わる殉教者のサン・ジュワン(坂本左衛門)は「死体は袋につめられて海に捨てられた。」とある。
◎協力:
大浦天主堂キリシタン博物館(長崎県長崎市)
カトリック浦上教会(長崎市)
天草アーカイブズ(熊本県天草市)
◎関連記事:
○天草テレビ出版編著者「天草キリシタン10の謎」天草テレビ出版(2020年10月発行)
西日本新聞 「貝殻に見たマリア様 禁教時代の信心具伝わる」(2018年11月14日朝刊・15日夕刊)
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