新史料再び発見!オーストリア国立図書館に所蔵
河浦に天草コレジオ
〜天草キリシタンの謎シリーズ(1)続編2
約430年前、キリシタンの最高学府「天草コレジオ(学林)」が熊本県天草市河浦町にあったことを示す古書が、オーストリア国立図書館に所蔵されていることが新たに分かった。2月にも河浦にあったと書かれた古文書が英国の大英図書館で見つかっている。(1)天草コレジオの跡地をめぐっては歴史家を中心に天草市合併前の旧河浦町と旧本渡市で60年以上も激しい論争が続いていたが(2)相次ぐ証拠発見で、それに終止符を打つとみている。1959年に河浦説を提唱した宇城市の鶴田倉造さん(97)は現在、高齢のため病院に入院しているが新聞報道で知らされ、面会した家族に声をふりしぼり、かすかな声で「ありがとう、、」と語った。
この古書はイエズス会宣教師のルイス・ピニェイロが1617年にスペインのマドリッドで出版したスペイン語の書物「われわれの聖信仰が日本諸王国において得た成果の報告」。河内浦の地名とコレジオと書かれた記述を天草テレビが調査報道の過程で2020年3月初めに発見。キリシタン研究の第一人者で慶応大の高瀬弘一郎名誉教授に照会し、明らかになった。そして地元の研究者らでつくる天草キリシタン研究会で発表した。この箇所の記述についてはこれまで、指摘した学者はだれもおらず、新発見となる。
高瀬氏によると、日本イエズス会は本来ポルトガル王室配下で布教活動をしていたが、1581〜1640年の間、スペイン国王がポルトガル国王を兼ねることになり、マドリッドのスペイン王室政庁にプロクラドールを置いた。この職に就いたのが、ポルトガル人のピニェイロだ。著書はイエズス会士の書簡・年報等を資料に記述したものと思われる。
スペイン語で出版された後、翌年にフランス語版がパリで出版され、オーストリア国立図書館のほかリヨン市立図書館などが所蔵している。(3)
本の内容は1612年から14年の迫害史で、江戸幕府2代将軍の徳川秀忠と宣教師たちの悪化する関係を背景に、布教状況や、幕府が行ったキリスト教徒への弾圧や迫害について書かれている。
巻末にはイエズス会のパードレたちが日本に所有していたカザ(修院)、レジデンシア(駐在所)、および迫害で失われたもの、その移動についての一覧の中に「肥後国、河内浦」には「コレジオ」があったと書かれている。
一方、本渡は栖本、久玉、大矢野と同様にレジデンシアがあったことが書かれており、本渡にコレジオがあったとは書かれていない。(4)高瀬氏は「ピニェイロの著書は知らなかった。ピニェイロは日本には来たことはないようだ。書名の通り、江戸幕府迫害開始時における教会活動について、記述したもののようだ。イエズス会士の書簡・年報等を資料に記述したものと思われる。先の大英図書館本1601年9月30日付け年報がそれかも知れないし、未だ知られていないその他の文書があるのかも知れない。天草コレジオが河内浦に所在した証拠の一つになり得ると思う」とし、跡地論争に関してはもはや議論の余地はないとする。
河内浦は現在の河浦町を指す。1802年に庄屋、上田宜珍(よしはる)が書いた「天草島鏡」(とうかがみ)の中に「天草伊豆守は天草郷河内浦城に住んでいて後下田と伝う」と書いており、(5)城は現在の崇円寺境内やその裏山一帯とされる。外国文献にはコレジオは天草氏が提供した家屋とイエズス会が所有していたカザを基に作られたとある。(6)
鶴田さんを知る関係者は当時、「その場に居れないほど、お互い一歩も譲らず、口角泡を飛ばしながら論争していた」という。
家族は天草テレビが調査・報道した史料から2つ目の証拠が出てきたとの知らせを受けて、「父の生涯をかけた長い論争がやっと終わった」と喜びをかみしめていた。
記者メモ
天草コレジオは宣教師養成のための神学校で、天正遣欧少年使節らがヨーロッパから持ち帰った金属活字印刷機で文学書や信心書などを印刷し、現存するものは12種類で「天草本」と呼ばれている。1591年、長崎の加津佐から移転し、97年に再び長崎に移るまで、天草にあったとされるが、その場所については長い間、謎だった。今年2月、フランシスコ・ロドリゲス神父が天草コレジオは河浦にあったと書いた1601年のイエズス会年報が英国の大英図書館で見つかっている。
(金子寛昭)
(2020/4/20)
(続報)・「天草コレジオ(学林)」が河浦にあったとする学説を提唱した天草キリシタン史研究家で宇城市の鶴田倉造氏が2020年4月22日午前4時6分、老衰のため熊本市内の病院で死去した。享年97歳だった。
詳しく>>>
◎註:
(註1)○西日本新聞 「天草コレジオ 謎に光 河浦示す古文書 英国に キリシタン最高学府所在地論争60年超」(2020年2月9日朝刊)
○天草テレビ「天草コレジオは河浦に!/跡地論争に終止符か/大英図書館に場所を示す古文書」(2020/2/19)
(註2)○西日本新聞 「天草コレジオ謎のまま?跡地の所在 かつて大論争 合併で下火 郷土史家危機感」(2019年12月14日朝刊)
○天草テレビ「天草コレジオはどこに?/60年以上も論争/決定的な証拠見つからず〜天草キリシタンの謎シリーズ(1)」(2019/12/14)
(註3)(註4)Luys Pinheyro, "Relacion del sucesso que tuvo nuestra santa Fe en los reynos del Japon, desde el ano de 612 hasta el de 615 imperenado Cubosama"Viuda de Alonso Martin de Balboa, 1617. "En Cauachinoura Reyno de Fingo,Colegio. ", "En Fondo del mismo Reyno. "P514.
Louis Pigneyra, Fouet, Lycée Ampère."La nouvelle histoire du Japon, où il est traicté du progrès de la foy Catholique"Jean Foüet, & Adrian Taupinart, 1618. "A Cauachinoura , Royaume de Fingo, vn College. ", "A Fondo au mesme Royaume. "p877.
(註5)河内浦は現在の熊本県天草市河浦町。「天草伊豆守鎮種 天草郷河内浦城に住す後下田と伝」上田宜珍(よしはる)「天草島鏡」(あまくさとうかがみ)『天草郡史料』天草郡教育会1972年。31頁。
(註6)高瀬弘一郎「天草コレジオの活動」『キリシタン時代のコレジオ』八木書店、2017年。218-368頁。
◎協力:
慶應義塾大 高瀬弘一郎名誉教授 『キリシタン時代の研究』(岩波書店)、『キリシタン時代のコレジオ』(八木書店)など多くの著書がある。
東大史料編纂所 五野井隆史名誉教授 近著に『ルイス・フロイス』吉川弘文館<人物叢書> 2020年、など多くの著書がある。
天草市河浦町「天草コレジョ館」0969(76)0388
◎関連記事:
○天草テレビ出版編著者「天草キリシタン10の謎」天草テレビ出版(2020年10月発行)
○「天草コレジオはどこにあった?」八木書店公式サイト(2020/4/22)
○西日本新聞 「『河浦にコレジオ』新資料 天草の研究会 再び確認 イエズス会の古書に記述」(2020年5月11日朝刊)
○西日本新聞 「河浦説提唱の鶴田さん『ありがとう』笑顔で逝く」(2020年5月11日朝刊)
○天草テレビ「鶴田倉造氏が死去 天草コレジオ河内浦説を提唱」(2020/4/22)
○天草テレビ「天草コレジオは河浦に!/跡地論争に終止符か/大英図書館に場所を示す古文書」(2020/2/19)
○西日本新聞 「天草コレジオ 謎に光 河浦示す古文書 英国に キリシタン最高学府所在地論争60年超」(2020年2月9日朝刊)記事中34行目「ラテン語で」は「ポルトガル語で」の誤りでした。お詫びして訂正します。(金子寛昭)
○西日本新聞 「天草コレジオ謎のまま?跡地の所在 かつて大論争 合併で下火 郷土史家危機感」(2019年12月14日朝刊)
○天草テレビ関連記事「天草コレジオはどこに?/60年以上も論争/決定的な証拠見つからず〜天草キリシタンの謎シリーズ(1)」
○天草テレビ関連記事「倉庫外に33年間放置したまま!/実は貴重な礼拝碑「カルワリオの十字架」/天草で初めて発見!史料的価値 高いと専門家」
○天草テレビ関連記事「新説を提唱!謎のキリシタン墓碑/新説を提唱!謎のキリシタン墓碑/イエズス会士のロペス神父か?」
○西日本新聞 「十字架刻む石碑 33年放置 天草市のため池から発見」(2019年12月7日朝刊)
○西日本新聞 「イエズス会神父埋葬か 地元の研究家が新説」(2019年12月3日朝刊)