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「華南三彩貼花唐草文壷」の破片   信福寺   信福寺があった場所
「華南三彩貼花唐草文壷」の破片   信福寺
元々、右上にあったが移転。
  信福寺があった場所
現在は整地されている。
       
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南蛮船が運んだ陶器片発見!/コレジオ推定候補地の寺から/天草市河浦町の信福寺


熊本県天草市河浦町の信福寺の試掘現場からキリシタン時代の南蛮貿易に関わりのある「華南三彩貼花唐草文壷(註1)の破片が出土したことが分かった。市は2021年1月から同地区の遺跡確認のため、調査を進めており、同年3月20日に行われた現地説明会で初めて公開された。「河内浦(かわちのうら)に天草コレジオがあった」と報告書に書いた宣教師フランシスコ・ロドリゲス神父が帰国途中に難破し、沈没したポルトガル船からも多く発見されている。国内でも戦国時代末の長崎や博多、堺などの貿易都市でしか発見されず、宣教師たちとの関係が深い交易品の一つとされる。信福寺はキリシタンの最高学府「天草コレジオ(学林)」(1591〜97)の推定候補地でもあり、またそれを誘致した天草氏の菩提寺ともいわれており、専門家はそれらとの関連性を含めて今後の調査に期待を寄せている。

市によると発見場所は寺の山門前で、地下約1メートルの堆積層の中から見つかった。一辺が約4センチほどの小さな破片で、緑の釉薬に葉のような文様があり、1580年から1620年頃のものとみられる。下の層からは土師器やすり鉢などの小さな破片も見つかり、いずれもすり減っていることから洪水などで流されてきたものが堆積したとみている。

「華南三彩貼花唐草文壷」は中国の明時代(1368〜1644)後期、中国南部の華南地方で焼かれた。粘土で花や葉などの文様を貼り付け、緑、黄、紫などで彩られた鮮やかな色が特徴。南蛮貿易は16世紀末頃から17世紀前半、明のマカオを拠点としたマカオ商人、ポルトガル人を中心に営まれ、日中間の代理貿易ともされる。中国から日本へは生糸や絹織物、金、陶磁器、硝石、生薬、砂糖などがあった。同町には世界遺産に登録された崎津集落に港があり、1587年にマカオからルソン(マニラ)に向かっていたスペイン船が、89年にはマカオからメキシコへ向かっていたポルトガル船が嵐のため、入港したとの記録もあるが、(註2)その時にもたらされたのかどうかは不明。長崎を経由して招来した可能性もある。

宣教師のフランシスコ・ロドリゲス神父は1599年、天草に来たこともあり、1601年のイエズス会年報の補足に河内浦(かわちのうら)にコレジオがあったことを記述。1606年、帰国の途中でポルトガルのリスボン近郊のテージョ川河口で難破し、命を落とした。その沈没したポルトガル船「ノッサ・セニョーラ・ドス・マルティネス」号からもこの陶磁器片が多数、発見されている。(註3)

また日本で初めてキリシタン大名となった大村純忠の玖島城跡(長崎県大村市)館跡から出土したほか、(註4)豊後府内(大分県大分市)のキリシタン大名だった大友宗麟ゆかりの勝光寺に伝わるほか、中世大友府内町跡からは1586年、島津侵攻時に被災し、捨てられた多くの破片が出土し、大変貴重なものだという。(註5)

市文化課の中山圭学芸員は「試掘でいきなり大変なものが出てきて、びっくりした。周辺には16世紀後半頃の貴重な陶磁器を含む遺跡があった可能性がある」と話す。南蛮貿易の研究が専門の東京大大学院情報学環の岡美穂子准教授は「信福寺には元々、コレジオなどイエズス会の施設があった可能性が高い。宣教師たちは布教だけではなく、貿易で商取引も行っており、"貿易会社"のような拠点でもあったと思う。全国でも限られた所でしか出土せず、大変珍しい発見だ。これからの発掘調査に大いに期待している」と語った。
(金子寛昭)
(2021/4/12)

◎註:
(註1)「華南三彩貼花唐草文五耳壷」(かなんさんさいちょうかからくさもんごじつぼ)耳の部分は発見されていないので、市は「華南三彩貼花唐草文壷」としている。またイギリスの著名な収集家の名前から「トラディスカント壷」とも呼ばれてもいる。
明時代(1368〜1644)後期の中国南部の華南地方で焼かれた。広東省・海南省・福建省の3省と、結びつきの強い香港・マカオを総称して、華南経済圏と呼ぶことがある。
文化庁文化遺産オンライン

(註2)1570年にポルトガル船一隻が志岐に入港。Cartas 1598, Vol. 1, fol. 296r. Fro´is, Lui´s, Historia de Japam, Vol. 2, pp. 330–331.
1587年にスペイン船が入港。(ルイス・フロイス, 松田毅一, 川崎桃太訳「フロイス日本史」12巻、297頁。)
1589年にはポルトガル船が入港。

(註3)「ノッサ・セニョーラ・ドス・マルティネス」号(Nossa Senhora dos Ma´rtires)は、1606年ポルトガルのリスボン近郊のテージョ川河口で沈没した貨物船の名称で、その後1996年から2001年にかけて調査された。強風の中、テージョ川に安全な停泊地を求めていたが、水没した岩に衝突して岸近くで沈んだ。フランシスコ・ロドリゲス神父は、日本のイエズス会全体の将来に関する問題についてローマ教皇に謁見するために日本を出発し、その途中、この船で命を落とした。
この難破船から「華南三彩貼花唐草文五耳壷」の破片が多数、発見されている。
Simonetta Luz Afonso, "NOSSA SENHORA DOS MA´RTIRES. A U´ltima Viagem."Pavilhao de Portugal, Expo'98, 1998.pp.175–181.
P.Francisco Rodrigues S.J.,c.1560–1606.Schütte,Monumenta historica Japoniae I: Textus catalogorum Japoniae aliaeque de personis domibusque S.J. in Japonia informationes et relationes, 1549–1654 pp293,1283,414–415.
『1601年度イエズス会年報』1601年9月30日付(大英図書館所蔵) Add.Mss.nos.9859. ff149–191.

(註4)大村純忠(1533 〜1587)の玖島城跡(長崎県大村市)長崎港を開港した人物で、キリシタン大名の有馬晴信は甥にあたる。『新編 第2巻中世』写真8頁に同壷。『大村市史 考古資料から見た中世』801頁。

(註5)大友宗麟(1530〜1587)

勝光寺(大分市竹中)曹洞宗。華南三彩貼花唐草文五耳壷は県指定有形文化財。
大分県埋蔵文化センター『豊後府内を掘る〜明らかになった戦国時代の都市』64、65頁。

◎協力:
東京大学大学院情報学環の岡美穂子准教授。『商人と宣教師 南蛮貿易の世界』東京大学出版会、2010。『大航海時代の日本人奴隷』中央公論新社、2017(ルシオ・デ・ソウザと共著)などがある。

大分市歴史資料館(華南三彩貼花唐草文五耳壷=所蔵写真提供)

◎関連記事:

西日本新聞 「中国の古壺破片が出土 天草の信福寺で 南蛮貿易示す初の史料」(2021年4月9日朝刊)

天草テレビ出版編著者「天草キリシタン10の謎」天草テレビ出版(2020年10月発行)

「天草コレジオはどこにあった?」八木書店公式サイト(2020/4/22)

西日本新聞 「『河浦にコレジオ』新資料 天草の研究会 再び確認 イエズス会の古書に記述」(2020年5月11日朝刊)

西日本新聞 「河浦説提唱の鶴田さん『ありがとう』笑顔で逝く」(2020年5月11日朝刊)

天草テレビ「鶴田倉造氏が死去 天草コレジオ河内浦説を提唱」(2020/4/22)

天草テレビ「天草コレジオは河浦に!/跡地論争に終止符か/大英図書館に場所を示す古文書」(2020/2/19)

○西日本新聞 「天草コレジオ 謎に光 河浦示す古文書 英国に キリシタン最高学府所在地論争60年超」(2020年2月9日朝刊)記事中34行目「ラテン語で」は「ポルトガル語で」の誤りでした。お詫びして訂正します。(金子寛昭)

○西日本新聞 「天草コレジオ謎のまま?跡地の所在 かつて大論争 合併で下火 郷土史家危機感」(2019年12月14日朝刊)

○天草テレビ関連記事「天草コレジオはどこに?/60年以上も論争/決定的な証拠見つからず〜天草キリシタンの謎シリーズ(1)」

○天草テレビ関連記事「倉庫外に33年間放置したまま!/実は貴重な礼拝碑「カルワリオの十字架」/天草で初めて発見!史料的価値 高いと専門家」

○天草テレビ関連記事「新説を提唱!謎のキリシタン墓碑/新説を提唱!謎のキリシタン墓碑/イエズス会士のロペス神父か?」

○西日本新聞 「十字架刻む石碑 33年放置 天草市のため池から発見」(2019年12月7日朝刊)

○西日本新聞 「イエズス会神父埋葬か 地元の研究家が新説」(2019年12月3日朝刊)