ミッちゃんこと永田ミツエさんは大正13年2月20日、鹿児島県出水市で2人兄弟の長女として生まれた。そして7歳の時、両親のふるさと新和町小宮地に引っ越してきた。
昭和19年に12歳年上の地元の男性と結婚し、男の子が生まれた。しかし時は太平洋戦争の真っ直中で、夫は3カ月後に出征して行った。
そして終戦間近の昭和20年3月、南方戦線に向かう途中、夫の乗った輸送船が敵艦の魚雷を受け沈没。ミッちゃんの手元に戦死の報が届いた。
21歳で夫を亡くし、残された一粒種の息子を育てるために、女手一つで田畑を耕し、牛も飼った。その時の苦労は大変なもので、持ち前の負けん気で、「男にゃ負けんぞ、と裸足できばってきた」と話す。
息子は地元の高校卒業後、大阪に就職。今は、一人暮らし。
昔、苦労した分、今はのんびりと「自分の好きなように暮らしている」と話す。
体は至って丈夫で、
もう5年も病院に行ったことがないというほど元気。
健康のために始めたゲートボールは「老人のよかスポーツです。続けんば!」とご近所の仲間と出かけて行く。
歌や三味線も得意で、社交的だ。小宮地地区で「ミッちゃん」といえば「知らない人はいない」というほどの人気者だという。
2007年3月、新和町出身者の「ふるさと新和会」総会で上映する「ふるさとビデオ」制作の相談が天草テレビに来た。天草市新和支所の推薦で、リポーター役としてミッちゃんに白羽の矢が当たった。
桜咲く4月、撮影開始。番組はミッちゃんが新和の各地区を回り、ふるさとの人たちが都会に出て働く子供達や友人に、「がんばれ!」と励ましのメッセージを送るビデオレターだ。
2007年4月22日、東京港区南青山「ハートイン乃木坂」で「第14回関東ふるさと新和会総会」が開催された。
新和町出身者をはじめ約100人が出席した中で、番組が上映された。
天草弁で語りかける懐かしいふるさとからのメッセージに感動し、番組終了後、みんな立ち上がっての拍手!だった。
鮮烈なデビューを飾った。女子アナ・ミッちゃんの誕生だ。 |