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(板倉家文書より)

天草・島原の乱(1637〜38年)で、熊本藩、久留米藩などの各藩や、従軍していた鉄砲奉行(鈴木重成:のち天草代官)が大坂城代や目付にあてた状況報告書で、覚え書きやメモ、聞き書き、往復書簡、奉書のたぐいである。(古文書・写 真拡大する)

幕府が保管していたものを書き写し、ある時期に天領の天草代官所に持ち込んだと見られる。
この中で、熊本藩家老の長岡監物や久留米の商人・与四右衛門の目撃情報として阿部備中守(大坂城代)に宛てた書簡によると、寛永14年(1637年)11月14日、島子(天草郡有明町)に上陸したキリシタン軍は陸と海の二手に分かれて本渡を攻めるが、天草四郎は船から茂木根(本渡市広瀬)の海岸に上陸、そのまま馬に乗ったという。

 
     
 



この時の四郎の出で立ちは「普通の着物の上に白い絹を着、たちつけ(はかま)をはき、頭には苧(からむし)三ツ組にしてあて、尾をつけてノドの下にてとめ、額には小さな十字架を立て、手には御幣を持ち、総勢を外知つかまつり候」とその時の様子がつぶさに記述してある。


また宗徒軍は天草勢1,600人、島原勢2,000人で、武器は棒の先にワキ差しをくくりつけたり、ナタやナギナタ、鉄砲100丁、弓40丁を持っていた。そして四郎には伯父やいとこがいて乱後、大坂で処刑されたことや、これまで名前だけしか知られていなかったキリシタン軍の軍師(物頭)芦塚忠兵衛の実在が裏付けられた。

乱についてこれまで物語的なものはあったが、これは経過を追って記述してあり、当時の見聞も生々しい。第一次史料、根本史料として極めて貴重なものである。 

 
 

(旧蔵=写真は部分)
(お断り:2003年12月で天草郷土資料館所は閉館いたしました。)

 
     

天草郷土資料館所旧蔵のキリシタン資料を映像で公開しています。
(5分57秒 5min57sec)

     



 

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